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インディアンジュエリーの歴史と聞いてどのぐらいの歴史を思い浮かべますが?
古の神話や伝承を持つインディアン。
その神話や伝承に基づくデザインを施されたアクセサリーはさぞ古くから彼らの歴史を刻んでいた事でしょう。
と思いますよね。
でも、インディアンジュエリーの歴史は結構浅いんです。
元々、インディアンの生活は素朴で、自然と共にありました。
衣類も、器も、武器も自然の素材を活かして作られています。
当然、金属の製錬技術や機械とは無縁の生活です。
そこに金属が入り込み、銃が入ってきたのは、移民の到来と同時期なのです。
現在アメリカでは、メキシカンやプエルトリカンを移民と呼びますが、アメリカに元々暮らしていたネイティブアメリカン(インディアン)にとっての移民とはヨーロッパから来た白人でした。
アメリカ大陸への白人の移民は、インディアンに災いと文化の両方をもたらしました。
まずは災いですが、部族にもよりますが、元々土地などの所有意識の無い大らかなインディアン。
対して白人は所有と争奪の歴史を繰り返してきました。
大陸に上陸した白人はインディアンに「この土地は誰の物だ?」と聞く。
言葉の裏には、所有者から交渉もしくは武力で土地を得ようというのも有るのですが、インディアンからの返事に彼らは拍子抜けします。
「土地は、人間の誰かの物では無い。」
そう、大半のインディアンにとって、土地を個人が持つという概念が無いのです。
それを聞いた白人は次々と土地に線を引き、自分達の所有地にしてしまいました。
こうして、生活の場を次々と奪われていったインディアンですが、当然戦いも起きました。
そこには、かつてインディアン達が見た事の無い銃という強力な武器が待って居ました。
あっという間にインディアンの土地は侵略され、白人にとって都合の良い扱いを受け出します。
他にも白人がもたらした災いは、インディアンには耐性の無い疫病など。
疫病は多くのインディアンを襲い、あっという間にその数を減らしていってしまいました。
実は、白人との戦いで戦死するより、疫病で死んだインディアンの方が多いと言われています。
またアルコールも急性アルコール中毒や依存症を作って行きました。
話が、インディアンジュエリーから離れてしまいましたね。
インディアンは白人に侵略されたあと、多くの白人文化と共に金属の加工方法を学びました。
特に北米大陸南部から中米にかけては、16世紀に侵略してきたスペインとその後のメキシコからの影響が大きく、1870年代に白人によって交易のためのトレーディングポストという物が設置され、そこで、インディアンは家畜を納め、代わりに各種食料や日用品を手に入れます。
こうしてインディアンと他民族の交易が盛んになる中で、ナバホ族は銀細工を得意とするメキシコ人から、銀の加工を教わったと言われています。
初期のインディアンジュエリーは、削ったり浅い模様を付けるだけの大変素朴な物でしたが、彼らは白人の金属加工を見て学び、それに独特のセンスで工夫し、金属を溶かして型に流すキャスティングや、現在も使われるスタンプという装飾のための道具も作るようになりました。
こうして、白人の手を離れ、ナバホ族特有のセンスと、独自に進化しだした技法を元に魅力的な作品が作られるようになり、トレードされるようになりました。
しばらくの間、インディアンジュエリーの製造はナバホ族のみが行っていました。
その後、ズニ族、ホピ族、サントドミンゴ族、イレスタ族と伝わり、それぞれの部族ごとに特有の進化をしていきました。
これらの5部族が現在インディアンジュエリーを作っています。
しかし、希に他部族の作品も見られなくは無いです。
ということで、インディアンジュエリーの始まりは18世紀からとなります。
さて、部族ごとの特有の進化ですが、ホピ族はオーバーレイ、ズニ族はインレイを得意としますが、現在若いアーティスト達は、さらに挑戦を続けています。
伝統的な工法以外にも新たな工法をを試したり、ナバホ族が、ズニ族や、ホピ族の作風をヒントにしたり。
今後も更なる多様性を見せていく事でしょう。
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